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◇リノホテル京都の相談役をして下さっているかたのおひとりに、永く西院の代表として、時代祭りなど各方面で力をつくされているかたがいらっしゃります。その方はホテルの従業員の間でもひそかに"西院のおじいちゃま"という愛称で呼ばれ、ホテルで何度か、西院の歴史や展望を講演して下さっています。 |
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その方の西院のお話は、理学博士にも拘らず、源氏物語や平家物語などの豊かな内容から始まり、京都の悠久の歴史が眼前に浮かぶ様なものです。
そこで、その京都の歴史の一端を少しでもお伝え出来ればと、おいじちゃま方がまとめられた、『西院昭和風土記』より、"西院昔語り"として、ここにご紹介して参ります。 |
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《明治中期の夜の四条通り》
明治中期の四条通りの幅は、約四メートル、堀川から分流した四条川を挟んで、北側にも小道があった。大宮が京都市の西端で、それから西はお寺が二軒あるばかりであった。 |
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大宮の西は、四条川の岸に大きな柳の木が植えられ、新選組壬生の屯所を過ぎると、京都市と西院村の間は、広大な田畑であった。北は、千本通りと西高瀬川に沿い、わずか三・四軒の材木問屋があるばかりで、それが朱雀野村壬生である。その田畑の中を、南北に明治二十九年京都鉄道(現在のJR山陰線京都園部間)が、東西に明治四十三年嵐山電気鉄道(現在の京福電車嵐山宣)が、それぞれ敷設された。 |
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話はさらにさかのぼるが、体力的に、農業に適してないと思った又兵衛は、若い時に西院村を離れ、市内で商売を見習い、嘉永元年(一八四八)、四条大宮の東約百メートル、四条猪熊に分家して、煙草の製造販売業を営んでいた。明治十九年二月、この又兵衛が臨終との知らせに、甥の清兵衛は、西院村から急ぎ猪熊に駆けつけて、間に合った。従弟と葬儀の打ち合わせを終える頃には、日も暮れ、帰る時には、夜八時になっていた。普段なら、今頃から西院村に帰るのは止めて、つい、向かいの新しい町角にある両親の隠居所に泊まるのだが、翌朝は、葬儀の装束、羽織袴も整えるために、帰る必要がある。疲れてもいたので、家人に人力車を呼んでもらった。 |
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「車屋さん、西院(サイ)まで行って下さい。」「へい」と返事はしたものの、車屋はちょっと当惑した。市内なら、夜でも心配無いが、冬、夜中七時を過ぎると、大宮から西は真暗闇、四条川の提に生い繁る柳の下の一本道、漠然とした冬枯れの田畑の中の四条通りを、西院村まで走らなければならない。思うだけでも背筋がぞっとする。それに夜は、追い剥ぎが出ると仲間の噂もある。「暗い夜道をすまんね。」と清兵衛。車夫は乗った清兵衛の膝に毛布を掛け、「西院までお帰りで。厳しい寒さですなあ。」と云いながら、毛布の縁をたたいた。そして、小提灯を梶棒にひっ掛け、四条通りを西に向かって、まっしぐらに走り出す。真っ暗な四条川の提の柳の小枝が風にそよいで、時々顔を撫でるので、寒さとうす気味悪さがひとしおまさるばかり。 |
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やがて、なぎの祠、壬生の野菜野市も過ぎて、北側にただ一件の森町石原家があるものの、大門はもう閉ざされて、闇に包まれている。ようやく、西院村入口の高橋(西新道四条の橋で、南側に野菜集荷小屋があり、西院の農家も利用していた)近くの小屋の前にさしかかったとき、梶棒の提灯の光が、小屋に、何者かの動く影を、僅かに捕えた。その瞬間、「やい車屋待てえ。」と低いが、ドスの利いた声と共に、かの人影が道におどり出た。男は行手に立ちはだかり、夜目にも光るものえおちらつかせた。七口(アイクチ)である。車夫は身ぶるいして、急に車を止めた。「主人降りて来い。」車屋は止むなく梶棒を下げる。 |
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清兵衛は覚悟をきめ、ひざ掛けの毛布をどけ、車から降りる。「懐のものを渡せ。」清兵衛は、叔父の急死にとるものもとりあえず家を出てきたので、懐中に財布は無い。「今夜は病人の臨終に馳せ参じましたる故、持ち合わせがございません。只今明日の葬儀の用意に帰るところでございます。」「裸になれ。」すぐさま清兵衛は帯を解き、両手で着物をつかんで振って見せる。「この通り、真に失礼いたします。」「よし、静かに帰れ。」追剥はそう云うと、匕口を引っ込め、闇に消えた。清兵衛は、すぐに帯を巻きなおし、車に乗った。ふるえてた車夫は、梶棒を上げて、また西に駆け出した。そして、高山寺(西院の菩提寺、西大路四条東北角)の前を通り、やっと西院の集落に帰って来たとき、追剥の「静かに帰れ」とは小癪な云い草だと思って、清兵衛は苦笑いした。 |
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当時、西院村から、京都の街へ買い物に出掛けるときには、歩いて片道一時間程かかった。だから、年を取って隠居所を構えるには、四条大宮あたりが便利であった。そして、親族が、呉服等買物を了えて遅くなった時は、無理をして夜道を帰らなくてもよいようにしていた。京に出ると、冬ならば、午後三時半には帰途につかねばならなかった。夕方、四条通りを東から西へ青白いガスのすずらん灯が、順次点火される。それが烏丸通りに到着する時間までに、急いで帰らなければ、途中で暗くなり、西院村に着く頃には、とっぷりと日は暮れてしまう。西院村では、四条と通りに面した商家など、三、四軒の家が灯をつけているだけであった。 |
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