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奮闘するリーダー達には元気がぎっしり。"ワザ研"では彼らを取材して、皆さんの「快適」と「スムーズを支えるワザ師達」の物語を取り上げてゆきます。 詩人:上田假奈代
詩人:上田假奈代

リーダーたちのワザ研究

調査報告 第17回 特定非営利活動法人
こえとことばとこころの部屋(cocoroom)
詩業家 上田假奈代

彼女は、こらえて、自らの言葉を削ぐ。
腹をくくって器量で生きる、をんな詩人に心が揺れた。

取材:窪一(ホットワイヤー・プロジェクトリーダー)

 上田假奈代WEBサイトHP  ワザ研へ戻る  ]

詩人:上田假奈代
 
宿泊サービスの告知でも、伝える事が目的なのか、なにを伝えたいのかが判りにくい言葉の投げかけも良く目立つ。それは、伝えるスキルのだけの問題だけじゃないようだ。日本人同士だって、メッセージを思い描いたとおりに伝えるのはとても難しい。今、皆忙しいし、情報があふれている日常では、表現を受け止め、かみしめる余裕があまりない。

3年も前、詩を朗読するアーティスト上田假奈代さんの作品を初めて聞いた。それは耳を澄まして、心を傾け、言葉の心地よさを探る体験だった。そうしたものに触れたくて、詩業に生きる上田さんをたずねた。
 
子供の頃からなぜなんだとといかえの連続なんですよ。
上田假奈代さんのココルーム
上田さんが運営するココルームは、フェスティバルゲートの4階にある。僕が訪ねると、着物に前掛けを引っ掛けた上田さんは、ばね仕掛けの人形のように現れた。昼食がまだだとかで、スパゲティをおぼんにのせ、「良く来てくださったわねぇ、どこで話しましょうかねぇ」と肩をならべて奥のテーブルまで一緒に仲良く歩いた。言葉を交わしながらの、たった数歩で僕はとても心地の良いところに来たのがわかった。

上田さんは、これまでにポエトリー・リーディングを中心に4枚のCD作品を発表している。フェスティバルゲートにあるココルームはカフェ・スタジオ。アート・マネージメント活動は発表機会に恵まれないアーティストに表現の場を提供している。



「出会っちゃったんですよ。詩にね。それは選べないのです。母が詩人で、子供の頃からそうした創作活動は身近にあったのです。」文字を覚えたら、早速、締切りがあった。お母様と友人の発行する機関誌に紙面を割り当てられたのだ。
進んだ芸術大学。まわりでは制作技術の上達を目指す。上田さんはここでも、人はなぜ表現するんだろう?表現って何?それを繰り返し言葉にしていた。

学校終わってからは、関わる人々の自主管理で運営される京大西部講堂での活動(西部講堂連絡協議会)に参加する。とっかえひっかえ数々の芸術的表現にどっぷりつかる。暗黒舞踏、アングラからパンク、お芝居、ダンスといろんなジャンルの人たちが集まるレアな時代の裂け目だ。4年間の裏方を通して、活動を純粋に支えるおもしろさがわかってきた。

裏方に4年。上田さんは、なにかをやりたくなってきた。そこで、自分の詩を読む朗読イベントを企画する。自分の言葉を自分の声にするだけの単純な小さな興行。一週間のその体験から、次やりたいことがみえてきた。コピーライターとして会社勤めをしながら表現者活動がはじまった。


フェスティバルゲートにあるココルーム
 
ゲストが持つ思いを、対話を通して拾い出す。
基本的に和化粧では鏡がない。
小さいながらも、サロンを開始。なだらかに続けることで、ポエトリー・リーディングに興味を持ってくださるオーディエンスを集めてゆく。月一回、サロン形式でのネットワーク作りに励んだ。

二年目--------
演者を増やそう。クオリティに重点をおいて続けた。

三年目--------
機会を作り出す人。マネージメントする人を育てる。3年間続けると、偶然にも世間にリーディング・ブームがやってきた。
 
そのころ勤めはコピーライティング。「いわゆる大量消費を推し進める側、ものをあっちからこっちへ、早く移動するだけの経済を煽ってゆく仕事に堪えられなくなっていた。」自分がそこに悩んでいても、世界は変わらないと辞めて飛び込んだ先は、奈良の吉野の田舎旅館。31歳、厨房で働くが体力が続かなかった。

一方、種をまいてきたかいあって、四年目にして、朗読イベントの企画をしてくれる人がでてきた。ただ、仕事場から出てゆくにも距離があり、どのように続けてゆけばよいのか見えてこない。働いている場所も朗読をするサロンも同じ日本の中なのに、両者の距離は海外より遠く感じた。
ゲストが持つ思いを、対話を通して拾い出す。
私は何をしたいのだろう、上田さんは深く自問する。でてきたものは「言葉で仕事がしたい。」だ。

そんな頃、若い大学生と知り合った。「詩を仕事にしたい」という彼の投げかけに、返す言葉がなかった。10年間、自分は詩を仕事にしたくて闘ってきたが、いまだ糸口が見えないのに、どう応えられるというのだ。

だけど、"無理"だとは言いたくなかった。4回程会っただけの彼だが、最後に会って、2週間後に彼は自分の命を絶つ。彼の自殺を突き付けられて、否応なく上田さんは「詩業」と言うことに向き合い、きちんと彼に返事をしなければならなくなったのだ。

身悶えながら、生きてゆくさなかに、彼への答にたどり着いた。「言葉って言うのは、きっと自分を発見してゆくことをつかさどること」「諦めたくなって、くじけたくなってしまう時に希望を燈してゆくのが言葉やろっ!それをするのが詩人の仕事でしょうが!」と叫びたいが、そこに彼はいない。

詩人が勇気を伝えることを、一番太く、広く行うためには仕事にするしかない。アイデアはあった。それを頭にあるままにしておくのか、やってみるのかは大きな違いがある。やってだめだったら、違うことをすればいい。可能性がある限り、扉をたたいてみよう。最後の最後の扉を開けたとき、仕事に出来ていなかったら「ごめん、無理」と言うことにしよう。2001年に「詩人で喰う」と宣言した。
 
ゲストが持つ思いを、対話を通して拾い出す。
昔仕事した時のつてをたどり、大阪でフリーのライターとして食い扶持を稼ぐ。そして、これまでの経験やネットワークを活かして、誰かの役に立てることを模索、継続してゆく日々がはじまった。着物をきてみるのも、その頃思いついたアイデア。
基本的に和化粧では鏡がない。
それぐらいの事してみたら、なんかあるかも。「実際あったんです。新聞の取材も来たし、着付け教えて欲しいと若い女性がやってきたんですよ。」ココルームの着付教室の傍で繰り広げられるアートに触発され、「私も詩を読んでみる」と彼女達の共感も得ることができた。

着物きて、ワークショップやる、人脈を通して、書きます、教えます、手伝います。 フリーライターの仕事は一年で手を引いて、動きながらアート・マネージメント業をこなしていったのだ。ある時、フェスティバル・ゲートでなにかやってみないかと大阪市からオファーを受ける。Cocoroomのはじまりだ。
 
基本的に和化粧では鏡がない。

今、コアの常勤メンバーは5人。みんななんらかの表現にこだわったアーティスト志望だ。彼らの報酬は、ココルームCafeがあげた収益の配当分と、自分のアート活動をココルームに持ち込めること。自分のやりたいアート活動と引き換えに労働を提供しているのだ。

「この建物はへんてこ。でも有る意味、私達はそれを造っちゃったんだよね。これを利用してみんなの役に立つことを真剣に取組んでみる価値はあるんじゃないか。まだ建って8年。もったいないわよね。フェスティバルゲートと名前を付けた通り、ゲートになってほしい。だから今フェスティバルゲート勝手に未来計画をつくっているんですよ。」

経験から思うが、万事、事業計画の通りになんていきっこないのだ。だけど、行動していれば何かが見えてくる。

今、ホテルのマーケットでは、今日まで成果があったシステムが明日になると、有効とはいえなくなるようなことも珍しくない。だからこそ、勇気をもって着想を実行してみるべきなのではないか。動けば、なにかがみえてくるはずよと上田さんは教えてくれている。

 

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