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奮闘するリーダー達には元気がぎっしり。"ワザ研"では彼らを取材して、皆さんの「快適」と「スムーズを支えるリーダー達」の物語を取り上げてゆきます。

リーダーたちのワザ研究

調査報告 第14回 バー志賀
 (有)志賀敏哉環境デザイン工房 志賀 敏哉


変わらない変人と言われ、続けたら足跡になった。
取材:窪一(ホットワイヤー・プロジェクトリーダー)

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加納町にあるらしい。そして、店が客を選ぶ。 バー志賀のカウンター中央にはなぜか空のグラスが....意味は無いというが...
どこにもお手本はない。実績はもちろん、裏づけもない。描いた想いを胸に抱いて、真っ白な紙に最初の一筆を入れる勇気を持つ。自分の身銭でなりわいを起業するとはそうした事だと思う。

志賀さんは、加納町でバーとデザイン工房を自分の手で営み、レアなライフスタイルをきちんと描いている。WEBサイトのメッセージは彼の個性と、日常をきちんと伝えていて、その構成はオリジナルなエステティクスであふれている。

その背骨となっているものにとても興味があって、取材を申し込んだ。
 
 
僕ひとりだけで店に立つと決めたから、背の高さからカウンターや照明を決めた。全てのグラスが見えるように。
バー志賀   必要な資産は、資金だけではない
志賀さんが育ったのは京都の下鴨。ジャーナリストの父と発明家の祖父、そして華道、書家の祖母に受けた影響は大きい。オーブントースターなんぞを祖父と拾ってきては、ばらす。個人の知的資産は子供の頃からの積み重ねだ。  バーやホテル・バンケットでの働く経験は学生時代のアルバイトから。大学卒業して迷いも無く選んだのはホテルで、5年半働く。ある時、ラグビーのクラブチームで出会った方からデザイン事務所に誘われる。「はいったらいきなり経理やらされたんですけどね」ここでデザインと言う仕事に出会う。ここでの経験を聞いても、志賀さんのモノづくりへの個性が感じられるのだ。
飲食店で働き、独立心があるなら、自分の店を持つことを考えない人はいないと思う。

「僕も40歳や50歳を過ぎた頃に余裕をもって京都でバーをやろうと考えていた。」志賀さんは言う。バー・志賀で、カウンターの向こうにいる、ゲストがつぶやいた「俺も、いつか、こういうバーがしたいのよ。」見るからに裕福な彼からこのメッセージを聞いて、やっている事とやりたい事はこうも違うものかと志賀さんは感じた。


デザイン会社にいた頃の志賀さんは、震災の数年前から神戸の顧客を担当しはじめる。出来たてのハーバーランドにも担当するお店があった。そして1995年の1月、震災。すべてが瓦礫に埋もれた。

震災の1月から3ヶ月間、近い人のために動いた。大阪の会社にはとても通える状態ではない。その間、自分の仕事はまったくできなかった。そもそもその頃の神戸に店舗デザインの仕事なんて皆無だ。やりたいことから離れて、猛烈に自分のやりたい事が出来ないフラストレーションを感じていた。そんな中、三宮の中心地から少し離れた所に、空き店舗が出たと人づてに知る。バーと寿司屋が営業していた後だ。場所を見たら、ずいぶん繁華街から離れていたのだ。だけどそうした場所だからこそ、どんどんアイデアが広がった。
 
お客様をこちらが選ぶ店をやりたかった。
やりたい事が許されなかったら。自分で創る。
心はなくさない

余裕をもってからやりたかったのだが、余裕が無いときに立ち上げることになった。「京都で40歳からやる店をやるなら、こうはならなかったでしょうね。」場所から店の演出ストーリーが考えられた。

いつからか接客やおもてなしの胸算用が当たり前になったのだろう。それがビジネスである以上、利益を出さなければならない。ただ、接点でサービスをサービスと感じさせず、裏表が無い自分でゲストにつきあうことができないか。それは等身大の自分で正直にお付き合いすること。そうした矜持を持ったのだ。

そのために、お店がお客様を選ぼう。まるで、自分の家を訪ねてくれる客をもてなすように。すると看板の替わりに苗字のみの表札、そして選ばれたゲストにのみカードキーが渡され、自由に入出が許される自動ロックがかけられた扉。

「立ち飲みバーの方が儲かったでしょう。だけど一過性のサービスにしたくなかった。長く続けるためにはこうした姿勢が必要だった。」バー・志賀が大事にするコンセプトは裏表が無いことだ。くつろぐ自分に嘘はつけない。来店してくれたゲストに等身大の自分で付き合う。
美味しい話からはじまる、そんな人間関係作ったらだめですよ。
平成10年に志賀敏哉環境デザイン工房を立ち上げた。外部の人と打合せすると、薄っぺらい人もいる。知識があるから仕事が出来るわけじゃない。先にでてきた「いつかこんなお店をやりたい」人には、お金があるからバーが出来るわけじゃない。 売るために創っていない仕事が出来ないだろうか。例えば、売ることを目的にしない絵描、誰も知らないけど数人がわかってくれる車。

「書家は、基本的な字がきちんと書けなかったら、くずす、いわゆるヘタウマな字は書けないはずなんですよ。そこと、タッチが確立していれば字の個性は消えないんですよ。」志賀さんは、クライアントの希望にそって、カリグラフをどんなにくずしても、オリジナルに戻れる。自分を見失わないと言うことは強い。

そんな仕事を目指して、昼間にデザイン活動も始めた。これは結果として、バー・志賀のスタイルを維持するために役立った。どちらも自分でしか出来ないこと。それ以上のことはしない。それは振り返った時、自分が歩いてきた足跡しか残っていない人生なのだ。成果で計るものではけっしてない。

志賀さんのバーには、立ち上げた当初からの変わらない、オリジナルな美学が脈打っている。起業した頃を聞くと、着想とそれを実行出来る興奮であっという間に過ぎてしまったという商人が多い。例外なく志賀さんも今に熱中しているのだ。


 
志賀 志賀 敏哉

1964年京都出身。大学卒業後ホテルマンとなり、1991年 広告デザイン事務所(大阪)に転職。以降飲食店舗を主に市場調査・コンセプトデザイン・オペレーションを 担当

1995年震災の年に、神戸三宮にバー「志賀」を開店。 1998年12月、有限会社志賀敏哉環境デザイン工房設立。
グラフィックを中心に、CI・TM・ロゴマーク・コピーライト・SP販促ツールデザインを担当する傍ら店舗・住宅内外装デザイン、筆耕(カリグラフィー・屋号/表札/品書き筆文字)など、限定しないデザイン(=謀り、目論み、企てる)を提案し続けている。

現在、商業施設・プロスポーツチーム・飲料メーカー数社、クリエイティブディレクター契約中

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